2012年03月14日
■那覇の歴史を今に置き換える
古琉球時代から
沖縄は海上交易の要衝でした。
そして、その港湾として
発達したのが那覇。
大きな船が停泊できて
人が大勢住める平地が広がっている場所。
それが那覇だったらしいです。
港としては
運天とか大湾とか勝連とかもあったけど
結局、都市としての発達が可能だったのは
那覇だけだったんですね。
浦添の王様が
首里の引っ越したのも
那覇とのアクセルの良さから・・・。
ともいえるらしいです。
時は流れて2012年。
空港のハブ化。LCCの波。
東アジアとの距離感は言わずもがな。
那覇はこれかも物流の要衝として
その重要度は増してくるでしょう。
でも、モノが運ばれてくるだけでは
地元の産業足り得ません。
ヒトが集まり、情報が飛び交い、
仕事も生れなければ意味がない。
久米のチャイナタウンだけではなく
若狭は日本人街だったらしいです。
昔から那覇は多国籍な文化を受け入れつつ
独自の文化を持ち続けた都市なんじゃないでしょうか。
だって、
波の上宮のそばに、孔子廟とお寺がありましたよね、たしか?
いろんなビジネスの人が
支店をもったり、本社を移したり
パートナーをもったり、提携したり、
受注したり、発注したり、
開催したり、集まったり。
そういう場所にしていきたいな。
そう思っている今日この頃です。
こっちはほぼ日でやってます。アメブロメインブログ。
沖縄は海上交易の要衝でした。
そして、その港湾として
発達したのが那覇。
大きな船が停泊できて
人が大勢住める平地が広がっている場所。
それが那覇だったらしいです。
港としては
運天とか大湾とか勝連とかもあったけど
結局、都市としての発達が可能だったのは
那覇だけだったんですね。
浦添の王様が
首里の引っ越したのも
那覇とのアクセルの良さから・・・。
ともいえるらしいです。
時は流れて2012年。
空港のハブ化。LCCの波。
東アジアとの距離感は言わずもがな。
那覇はこれかも物流の要衝として
その重要度は増してくるでしょう。
でも、モノが運ばれてくるだけでは
地元の産業足り得ません。
ヒトが集まり、情報が飛び交い、
仕事も生れなければ意味がない。
久米のチャイナタウンだけではなく
若狭は日本人街だったらしいです。
昔から那覇は多国籍な文化を受け入れつつ
独自の文化を持ち続けた都市なんじゃないでしょうか。
だって、
波の上宮のそばに、孔子廟とお寺がありましたよね、たしか?
いろんなビジネスの人が
支店をもったり、本社を移したり
パートナーをもったり、提携したり、
受注したり、発注したり、
開催したり、集まったり。
そういう場所にしていきたいな。
そう思っている今日この頃です。
こっちはほぼ日でやってます。アメブロメインブログ。
Posted by 沖縄 中小企業のファンづくりアドバイザー 小宮仁至 at 17:08│Comments(0)
│沖縄コラム