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プロフィール
沖縄 中小企業のファンづくりアドバイザー 小宮仁至
沖縄 中小企業のファンづくりアドバイザー 小宮仁至
小宮仁至(こみやひとし)
1979年東京生まれ、熊本育ち、沖縄在住歴10年。
トルストイ翻訳家の祖父と児童書の専門店の実家に育ち
幼い時から、言葉と物語に囲まれて育つ。


自己紹介】
【沖縄の中小企業のファンづくりアドバイザー】
沖縄 中小企業のファンづくりアドバイザーの小宮です。
広告代理店やフリーペーパー会社の営業を経て、
現在は沖縄の事業者が継続的に発展するような
情報発信のお手伝いがしたいと思い、
今の仕事をしています。
以前は、広告主の広告を出してもらい
集客数を伸ばすことばかり考えていました。
でもせっかく私のプランや誌面に出稿してもらっても、
「安いから」、「無料でもらえるから」
という理由の集客ばかりで、
その場しのぎの集客で継続的・発展的な売上には
貢献していませんでした。
そこで、本当にクライアント様に
喜ばれる広告・販促・情報発信ってどういうことだろう?
と会社のスタッフみんなで
日夜試行錯誤を重ねています。
特に広告予算が潤沢にない中小企業さまでも、
WEBを中心にしたメディア展開の中に、
「その企業らしさ」や「その企業ならではのストーリー」
を盛り込めば、
継続的にリピートしてくる、
その企業や商品の「ファン」がついてくるようになります。

「誰に」、「何を伝えるか」を見直すことで、
その企業の魅力がしっかり伝わり、
見違えるほどの売上や問い合わせが増える
企業様はたくさんあります!
そして何より
「小宮さんがイメージをカタチにしてくれた」
と言われることが今の僕の無上の喜びです。
ぜひあなたの会社やあなたの商品の
「イイトコ」聞かせてください。

2012年03月14日

■那覇の歴史を今に置き換える

古琉球時代から
沖縄は海上交易の要衝でした。

そして、その港湾として
発達したのが那覇。

大きな船が停泊できて
人が大勢住める平地が広がっている場所。
それが那覇だったらしいです。

港としては
運天とか大湾とか勝連とかもあったけど
結局、都市としての発達が可能だったのは
那覇だけだったんですね。


浦添の王様が
首里の引っ越したのも
那覇とのアクセルの良さから・・・。
ともいえるらしいです。


時は流れて2012年。
空港のハブ化。LCCの波。
東アジアとの距離感は言わずもがな。

那覇はこれかも物流の要衝として
その重要度は増してくるでしょう。


でも、モノが運ばれてくるだけでは
地元の産業足り得ません。

ヒトが集まり、情報が飛び交い、
仕事も生れなければ意味がない。

久米のチャイナタウンだけではなく
若狭は日本人街だったらしいです。

昔から那覇は多国籍な文化を受け入れつつ
独自の文化を持ち続けた都市なんじゃないでしょうか。

だって、
波の上宮のそばに、孔子廟とお寺がありましたよね、たしか?

いろんなビジネスの人が
支店をもったり、本社を移したり
パートナーをもったり、提携したり、
受注したり、発注したり、
開催したり、集まったり。

そういう場所にしていきたいな。

そう思っている今日この頃です。


こっちはほぼ日でやってます。アメブロメインブログ。



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Posted by 沖縄 中小企業のファンづくりアドバイザー 小宮仁至 at 17:08│Comments(0)沖縄コラム
 
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